障害者雇用 3つの支援策 〜個人モデル支援・社会モデル支援・文化モデル支援〜
3つの障害モデル
とあるビルの階段の前で、車椅子利用者の男性が立往生していました。
彼はビル内にある事務所を訪ねたいのですが、このビルの玄関には数段の階段があります。緩やかなスロープやエレベーターはありません。しかも彼には言語障害があるため、周囲の人に声をかけて助けを求めることもできません。困っていると、「お手伝いしましょうか」と数人の方が声をかけてくれ、彼を担ぎ上げてくれました。おかげで彼は、事務所を訪ねることができました。

さて、ここで一つ問いを立ててみましょう。
「彼はなぜ自分の力で事務所にいけなかったのでしょうか?」
この問いに対する答え方によって、障害に対する考え方、つまり「障害モデル」が三つに分かれます。
【個人モデル(医療モデル)】
「そりゃ、彼は下肢に障害があって歩けないからでしょ」
という回答を個人モデル、もしくは医療(医学)モデル、個人の悲劇モデルといいます。
個人モデルでは、障害をその人個人の問題として捉えています。
つまり、障害はあってはならないこととし、全ての障がい者は、障害を克服する為に、リハビリテーションを受け、健常者に近づく努力をしなければならないと考えています。
障害者個人への働きかけを重視することで、障害者問題の解決を図ろうとするものです。
お気づきでしょうが、現代からすれば古い考え方で、常に障害者運動の中で批判の的とされてきた障害観です。
【社会モデル】
「そのビルにはスロープやエレベーターがないから、彼は自分で事務所にいけなかったんだよ」
との回答を社会モデルと言います。
社会モデルでは、障害をその人個人の問題と捉えるのではなく、車椅子を利用して、アクセスできないビル側、つまり社会の側に問題があるのだとしています。
障害があることで、困難や不利益を被るのだとすれば、それは社会の課題であるとし、行政・企業・市民など、社会の構成員全ての課題であるとしているのです。
社会モデルは一貫して社会の変革を主張しています。
社会モデルも治療やリハビリそのものを否定するものではありませんが、医療モデルのようにそれを必須とはしていません。
治そうが治すまいが、訓練で歩けるようになろうがなるまいが、いずれの場合でも不利益を被らないような社会の創造を目指すというスタンスなのです。
【文化モデル】
また、こんな回答もあるかも知れません。
「いや、彼は自分の力で事務所に行ったよ。通りがかった方が彼を担ぎ上げてくれたでしょ。あれが彼のスタイルなんですよ。」
この回答を、文化モデルと言います。
文化モデルでは、足が動かないなどの機能障がい(インペアメント impairment)や、その為に歩けないと言った能力低下(ディスアビリティー disability)、さらには、車椅子でアクセスできる設備がないと言った社会的不利(ハンディキャップhandicap)などを問題としていません。
この事例で言えば、「困っていることに気づき、手を貸してくれる人が現れるのを待つ」と言う彼特有のやり方、つまり、障害者特有の行動様式を、文化と捉えているのです。
これまで貶められていた自らの価値を取り戻し、肯定的なアイデンティティを獲得して、現実の生活をより楽なものにしていく。
そのような役割を文化モデルは果たしているとされています。
三つの支援策(個人モデル支援・社会モデル支援・文化モデル支援)
私は、これを障害者雇用の現場における職場適応援助の場面に置き換え、
・個人モデル支援
・社会モデル支援
・文化モデル支援
という3つの言葉を作りました。
職場不適応な状態にある障害者の職場適応援助を行う際、この3つの視点で支援の方法を検討することをお勧めしています。
それぞれの視点は互いに補い合うものであり、どれか一つが絶対に正しいというわけではありません。
状況や対象者に応じて、どの視点から支援を組み立てるかを柔軟に考えることが、より効果的な援助につながると考えています。
【個人モデル支援】
個人モデルとは、障害を個人の問題と捉え、治療やリハビリテーションの対象とし、障害を克服して健常者に近づく努力を求める考え方です。
これを職場適応援助の場面に当てはめると、障害者に対して教育・訓練を行い、企業が求める人材像に近づける支援、つまり「障害者を変える」支援が、個人モデル支援ということになります。
個人モデルそのものは、社会から批判の標的となってきました。
障害を「個人の欠如」として捉え、社会や環境の側の問題を見えにくくするという批判は、一定の正当性を持ちます。
しかし、この個人モデル支援は一概に否定することは適切ではないと考えています。
なぜなら、人材育成は障害の有無を問わず、あらゆる組織において普遍的に行われるものだからです。
人材は重要な経営資源の一つです。
どのような企業・団体であっても、組織の目標達成に力を発揮できるよう、メンバーの能力を伸ばし、育てていくことは当然の営みです。
私自身も、これまでのサラリーマン人生の中で、リーダーシップや問題解決、戦略立案、労務管理など、さまざまな教育を受けてきました。
これらもまた、私が定義する個人モデル支援に当てはまります。
知的・精神・発達障害者に対してよく行われている支援も、この枠組みに含まれます。SST(社会生活技能訓練)やカウンセリング、そしてシステマティック・インストラクション(言語指示→ジェスチャー→見本提示→手添えの順に、最小限の介入で指導する方法)などがその代表例です。

これらはいずれも、本人の力を引き出し、社会や職場への適応を促すことを目的とした、れっきとした専門的支援です。
しかし、個人モデル支援には大きな限界があることも事実です。
まず、即効性に欠けるという点です。
人の行動や思考のパターンは、長い時間をかけて形成されたものです。
それを変えていくには、相応の時間と継続的な関わりが必要であり、短期間での成果を求めるのは現実的ではありません。
手間暇がかかる割に、目に見える変化が現れにくいというのが正直なところです。
また、SSTやカウンセリングのような専性の高い支援は、本来、訓練を受けた専門家が行うものです。
企業内で職場の指導者がそれを担おうとすると、どうしても質・量ともに限界が生じます。
専門家でなければ対応しきれない局面も少なくありません。
さらに問題なのは、個人モデル支援が「最初に思いつく支援策」になりがちだという点です。
障害者のできない部分ばかりに着目し、「課題は本人にあるのだから、本人を変えればいい」と思い込んでしまった場合、真っ先にこの支援策が選ばれます。
しかし皮肉なことに、個人モデル支援は3つの視点の中で最も成果が出にくい支援策であると私は考えています。
「労多くして功少なし」という言葉がありますが、まさにそれを地でいくケースが少なくありません。
障害の有無に関わらず、人はそう簡単には変わらないものです。これは障害者に限った話ではなく、人間という存在そのものの性質と言ってよいでしょう。
にもかかわらず、指導者が「なぜ変わらないのか」「なぜできないのか」という視点で関わり続けると、どうなるか。
指導者はいくら働きかけても手応えが得られず、次第にイライラや疲弊を募らせます。
一方、障害者はできないことを繰り返し求められ、失敗体験を積み重ねることで自己肯定感を失っていきます。互いにストレスを生み、関係が悪化していく悪循環に陥るケースは、現場でよく耳にする話です。
カウンセラーなどの専門家が、適切な環境と時間の中で行う個人モデル支援は、もちろん意義のあるものです。しかし企業内で、職場の指導者が担う支援としては、あまり有効とは言えないかもしれません。
だからこそ、個人モデル支援だけに頼るのではなく、後述する社会モデル支援・文化モデル支援の視点を組み合わせることが重要になってきます。
【社会モデル支援】
個人モデルが、障害(impairment=損傷)を医学的な治療の対象、つまり“異常”であり、治すべき対象、もしくはリハビリを受けて克服すべき対象とし、健常者に近づく努力を求めているのに対し、社会モデルでは“障害(disability=障壁・差別)”を障害者自身の問題ではなく社会の側の問題として捉え、一貫して社会の変革を主張しています。
勿論治療やリハビリそのものを否定はしませんが、それを必修と位置づけていません。
社会モデルにとって、治療やリハビリはオプションといったところなのです。
それを受けるかどうかは本人が自己決定すればよいことであって、仮に「受けない選択」をしても不利な立場に立たされてはいけない。
あくまでもdisabilityは社会の側にあるのだという認識なのです。
そして、障害者雇用の現場において、私が新たに定義する社会モデル支援とは、障害者に教育・訓練を強いて、その人そのものを企業が求める人材に変えようとする個人モデル支援とは対象的に、障害者の個性・特性を十分に把握した上で、それが不利とならないよう会社側を変えようとする支援のことを言います。
もしある障害者が、その障害特性(impairment)ゆえに働きにくい状態があったとしたら、それはあくまで本人ではなく企業側に課題(disability)があるのだと考え、その障害者が働きやすいよう環境調整を行うという支援方法です。
つまり「障害(disability)は会社の中にある」という視点にたち、企業が当事者としてその障壁を取り除く取り組みを行うというわけです。
例えば
・視覚障害者がパソコンを使って業務が出来るように、点字ディスプレイや音声読み上げソフトを導入するなどの設備改善。
・車椅子利用者が不自由なく行動できるように施設を完全バリアフリー化にするための設備改修。
・聴覚障害者が社員教育を受ける際に手話通訳をつけるなどの物理的環境改善、などがそれに当てはまります。
決して特別なことではありません。
身体障害者の雇用においては、実に古くから行われてきた解決方法です。
もちろん身体障害者ばかりでなく、知的・精神・発達障害者にも有効です。
知的障害者や発達障害者には、本人が間違いなく作業できるようなやり方に作業手順を見直す「職務再設計」や、「ジグの開発」なども社会モデル支援となります。
さらには、管理職者や同僚に対し、障害特性に関する理解とサポート方法の教育を行うなどの人的環境改善。
また、個々の障害者に応じて、服務や処遇を柔軟に対応させたり、障害特性ゆえの理由から通勤が困難な事業所への異動を免除するなどの配慮や、またそのことが昇給を妨げる影響につながらないようにするなどの合理的配慮も社会モデル支援となります。
職場不適応となっている背景要因が、職場ではなく日常生活場面の不安定さにあるということも少なくありません。
そんな時は、生活支援者など社会福祉機関と連携して支援を行うケースもよくありますが、これも社会モデル支援です。
つまりは企業が障害者の属性に合わせていくのが社会モデル支援なのです。
先にも言いました通り、身体障害者の雇用促進の場面においては、これまでこの社会モデル支援で解決してきました。
誰も車椅子利用者に階段を這い上がる訓練を強いたりはしなかったはずです。

玄関にスロープを敷いたり、エレベーターや階段昇降機の設置、車椅子利用者用のトイレや駐車スペースを設置するなどして解決してきたはずです。
つまり、個人モデル支援ではなく、社会モデル支援を選択してきたのです。
しかし今、知的・精神・発達障害者の就労支援の現場を見ると、どうも会社側を変えようとする動きより、障害者本人を企業で通用する人材に変えようと、「がんばれ、がんばれ」と言いすぎている気がします。
もちろん個人モデル支援も必要です。
しかし、前述したように、変えることの出来ない障害特性ゆえの限界があり、本質的な支援にはなりにくいと感じています。
極端な例ですが、わかりやすく説明しましょう。
あなたの会社の玄関が、大きく陥没してしまったとしましょう。
その穴を乗り越えられる体力をつけさせるのが個人モデル支援です。
その穴を埋めようとするのが社会モデル支援です。

あなたなら、どちらの支援を優先しますか。
【文化モデル支援】
個人モデルでは、障害を治療の対象、リハビリの対象として、障害を克服する努力を求めました。
社会モデルでは、障壁は社会の側の課題であるのだとし、社会の変革を求めました。
個人モデルと社会モデルは、一見対象的な視点に立っているように見えますが、実はその主体こそ違えど、障害を「乗り越えるべき課題」であると認識している点では共通しています。
しかし文化モデルは、全く違った視点に立っています。
“障害”そのものをまったく問題にせず、その障害特性ゆえの独特な行動を“文化”と捉えているのです。
例えば、ろう者(ここでは、日本手話を第一言語とし、ろう教育を受けて育った、強い同胞意識で繋がっている聴覚障害者のことを「ろう者」と呼ぶことにします。)のコミュニティーでは、「耳が聞こえない」という事実を病理的視点からの“障害”と捉えるのではなく、「日本手話を日常言語として用いる者」、つまり障害者ではなく「言語的マイノリティー」だと主張しています。
そしてこれを“ろう文化”と言い、自らの存在を肯定的に語っています。
・視覚障害者にとっての点字の使用や白杖での独得な歩行の仕方、
・肢体不自由者にとっての車椅子での移動やよつばい姿勢での身体移動、
・知的障害者の摩訶不思議な拘りや飛び跳ねるような動作で進む行動など、文化モデルでは、ともすれば奇異・傍迷惑として扱われてきた障害特性を、独自の文化として捉えなおし、肯定する価値観を持っているのです。
私は、障害者雇用の現場における就労支援や職場適応援助のシーンにおいて、支援計画を検討する際、思考の漏れをなくすため、これら3つの障害モデルにそって支援策を検討することをお勧めしています。
少しおさらいをします。
個人モデル支援は、「障害者を企業が求める人材に近づける為に直接本人に働きかける支援」と定義付けました。
また、社会モデル支援を、「障害特性が不利とならないように企業側を環境調整する支援」としました。
人を変えるのか、職場を変えるのかという違いはありますが、やはり共に課題を克服するための支援方法であるという点では共通しています。
そして、3つ目の文化モデル支援ですが、これまでの2つのモデルとは全く違い、障害をとことん肯定する視点を持たせることとし、「障害特性を強みに変える支援」と定義しました。
文化モデル支援では、何も変えません。むしろそのまま活かすのです。
強いて言うなら、我々の思考を変えるのです。
例えば、常に腕時計を意識し、いつもキリの良いジャストタイムにしか行動をしない時間への強い拘りがある自閉症の方がいるとします。
個人モデル支援では、彼から腕時計を取り上げ、仕事に集中させるように指導するということになるのでしょうが、実際にはなかなか思うようにはいかないものです。
むしろ腕時計がない不安がストレスを生み、パニックを起こしてしまうなど、逆効果になる場合もあります。
そこで文化モデル支援では、「毎日11時になるとこの仕事をしてください」、「毎週水曜日の15時半にはこの仕事をしてください」というように、毎日の仕事をジャストタイムで行動できるようにスケジュールを固定化するのです。
そうすることで、上司がいちいち指示しなくても、出張から帰ってくるときっちり仕事が終わっているというように、時間通りに作業を進めてくれているでしょう。
特に時間の正確さが求められる仕事を担当していただくと遅延がなく助かります。
時間への拘りをうまく強みに変えることができた事例です。

これが文化モデル支援です。
しかし、正直に言うと、この事例のようにうまく強みに変えられるケースは稀です。
・視覚障害者は、見えない分音に敏感で音楽センスに優れている。
・知的障害者は、純粋で邪念がないため、あっと驚く美術作品を生み出す。
などは良く聞く美談ですが、実際には全ての障害者がそのようにいく訳ではありません。
どちらかというと、極々稀なレアケースです。
このように、文化モデル支援は障害者の尊厳を守ることができる支援方法である反面、最も難しい支援方法と言わざるをえないのも事実です。
【最後に】
3つの支援モデルを見てきましたが、最後にもう一つ、大事なことを伝えておきたいと思います。
それは、この3つの支援モデルがMECEであるという点です。
MECEとは「Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive」の略で、「モレなく、ダブりなく」と訳されます。ビジネスの世界では問題を整理するときの基本的な考え方として知られていますが、この3つの支援モデルもまさにその構造になっています。
職場不適応の状態にある障害者への支援策を考えるとき、打ち手は必ずこの3つのどれかに収まります。
・本人に働きかける(個人モデル支援)
・職場・環境を変える(社会モデル支援)
・特性をそのまま活かす(文化モデル支援)
この3つを漏れなく検討すれば、「あの手もあったのに」という見落としがなくなります。
逆に言えば、どれか一つの視点だけで考えていると、打ち手が偏り、うまくいかないときに手詰まりになりやすいのです。
そしてもう一つ、「どの支援から考え始めるか」という順番も意識してみてください。
多くの支援者が、真っ先に「この人に何を教えるか」「どう訓練するか」という個人モデル支援から考え始めます。
それは自然な反応です。
でも先に言ったように、個人モデル支援は3つの中で最も成果が出にくい。
だとすれば、考える順番を変えてみることをお勧めします。
まず「社会モデル支援」から考える。職場の環境・業務・制度・人間関係の中に、変えられるものはないか。次に「文化モデル支援」の可能性を探る。その人の特性を、強みとして活かせる場面はないか。
そのうえで、必要に応じて「個人モデル支援」を組み合わせる。
支援がうまくいかないとき、それは支援者の力不足ではなく、視点が足りなかっただけかもしれません。
この3つの支援モデルを「思考のチェックリスト」として、ぜひ一度試してみてください。


